2007年05月06日
大学全入時代
大学全入時代が議論されてずいぶんと時間がたった。また至近の数字でこの問題を取り上げるコラムなども増えた。現実には志願者数と大学入学者数がイコールになる時代はまだ先のようだが、現場感覚としてはまた違った意見もでている。
この問題とは別に大学生の質を見てみると、大学生の幼稚化問題はこの10年(僕の経験から推測できる期間として)のあいだに間違いなく進んだ。実際入学試験の倍率が5倍を下ると一気に加速するというのが経験から得た実感である。講義の合間にゲームをするなどという学生が増えたのも事実だが、まず本を読まない。字を正しく書けない学生が多い。答案用紙の誤字脱字があれば、一個では落とさないが、2個あると読まないようにしている。その結果昨年度末の試験合格率は70%ほどだ。30%ほどの学生は、試験問題解説をしているにも関わらず、書けない、調べない、資料を読まない。
その一方で優秀な学生も確実に増えている。そこら辺りが問題複雑化の一因でもあるが。こういった二極化した学生をひとつの教室で教えるのは結構面倒である。想像していただきたい。日本語が満足に書けない学生に英文契約書を配るということが、どういうことを意味するか。
さて全入問題は数字の上では700を超える大学定員数が65万人(実際は定員数x1.2倍程度の数字を母数にしたほうが実感がわくであろうから72万人程度)に対して志願者数がどうなるかを考えてみると、18歳人口が約120万人でここ数年推移するので、60%の大学進学率でほぼこの数字になる。現実には個数ねhここ数年50%弱で推移しているので、60%は可能性があるのかどうかだが、都市圏と地方では大学進学率に30%以上の開きがあるので、試算が難しい。大学の研究者の中には進学率は70%を超えることも可能だからという議論をする人もいるが、それは楽観論のボトムラインとしては使用可能である。
さて偏差値50前後の大学にとってはそんな楽観論で議論している暇はない。東京6大学あたりでは進学率に関係なく、下から上に進みたいという学生心理は変わらずにあるので、影響は少ないだろうが、偏差値55以下の大学では死活問題であり、それが地方在住大学となると、よほどの目玉がない限り、経営は難しくなる。加えて教員組合は強くなっている。
目玉をどうするか??みんな頭を悩ませている。目先の名称や中身のタイトルを変えても、教える人間が変わっていなければ、何も変化はない。学生の資質に関しては大学教員としては期待しかないのでどうのこうのは言わないが、熱心な学生を一生懸命に面倒をみる誘惑は強いのである。もっと相談に来いといってあるので、来た学生には満足を与える指導することを心がけている。講義も汗一杯かいて話しているので、少しは情熱が届いているのかと期待はしている。会話が大事だ。飯を一緒に食べて会話して、彼や彼女のよいところを引き出すのが、今の大学のゼミ(講義ではむりだぁ!)に求められている、と僕は思う。
こんなことをGW中考えていたら、小さくてもいいから大学一個、オレにくれないかな、などと寝言を言いそうだ。教員組合のない小さな私立大学でいいから、実験してみたいのである。全入問題などはマクロの議論で、現場は、「ぐたぐた言わずに改革しろ!!」と進み続けなくてはいけないのが現実である。
2007年05月06日 11:48
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