2007年02月18日
にせ学位問題ではあるが、
今日のニュースで文部科学省が学位について警告をだしていた。なんだか学位を売る会社があるようで、そういった学位(価値があるかないかはどうでも良いが)の取得について警告をだしている。
「社会的に通用しない学位を販売する学位商法問題で、文部科学省が全国の国公私立大学に対し、教職員採用などにあたってディプロマ・ミル(学位工場=DM)の“学位”取得者に注意するよう呼び掛けたことが分かった。DM問題が注目された昨年以降、文科省が注意喚起したのは初めて。国内の国立や私立大の教授らがDMの学位を取得していたことが指摘されており、高等教育の質維持のため文科省が対策に乗り出した。」
学位を買うというのは学位を売る人がいるからで、どうしても上位の学位を得たいという願望があるニーズをまかなっているということになる。なぜ上位学位がほしいかというと学歴差別があるからだ。しかし無名の、それもあきらかにニセの学位とわかるようなもので価値があがることはない。それでも怪しい勧誘文句で「社会経験買います」「論文や本を単位認定します」で楽して学位が取れれば数百万円は安いか高いか。
このディプロマミル問題は世界中に見られる傾向のようだ。大事なことは一緒に苦労した仲間といかに人生をともに語れるかだろう。そういった学窓がないのであれば、学位は無意味だ。自己満足だ。実際大学に身をおいている私が学位(博士をもっているかどうか)で他人を評価するということはこの12年間一度もなかった。博士だから優秀だというようなことは何もない。苦労して取る学者も多いが、彼には彼の価値観があるのだろう。しかし、僕の知っている大学でも大活躍している先生には学部だけの卒業者もいるし、優秀な人に出会ってその人の学位を調べたことは一度もない。
数年前にある教授から国立大学で博士とりましたと案内状をもらったが、いまだにどうしようもない教授だという評判だ。移籍した某大学院を一年でくびになっている。学生評価がすべてだったようだ。大事なことは学位でなく、その人の人格であり、教育・研究で熱心であればそれで十分であろうと思う。まあ学者の世界は傍目にわからない世界であるのだろうから僕のような門外漢はコメントできないが。
ニセ学位が自己満足で終わればよいが、それが何か社会的に悪影響をもたらすというのであればこういった政府の対応もやむをえない。大事なことはその人の人格知識経験を客観的にしっかり見極めること、そして学位名称(国立大のものだろうがDMのものだろうが)でなくしっかり個人の能力で評価するというシステムそのものであるように思う。
さて今夜は明日の講演の場所が東京なのにホテルにステイである。8時に集合で9時間講演。大森ということは朝西武線・山手線を乗り継いで満員電車。これは今の僕の肉体では受け入れられないので、大森にある快適なホテルに夜入り、のんびり準備しながら、ブログを書いている。しかし遠いところである。東京も広い。
2007年02月18日 23:42
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